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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)1877号 判決 1987年12月24日

控訴人(附帯被控訴人)

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士

吉原歓吉

右指定代理人

小林紀歳

和久井孝太郎

富樫博義

豊見永栄治

控訴人(附帯被控訴人)

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右指定代理人

星野雅紀

大沼洋一

山口仁士

被控訴人(附帯控訴人)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

百瀬和男

白谷大吉

志賀剛

右訴訟復代理人弁護士

佐藤安信

三浦宏之

主文

一  控訴人(附帯被控訴人)東京都の控訴を棄却する。

二  被控訴人(附帯控訴人)の控訴人(附帯被控訴人)東京都に対する附帯控訴に基づき、原判決主文一、二項中同控訴人(附帯被控訴人)に関する部分を次のとおり変更する。

1  控訴人(附帯被控訴人)東京都は被控訴人(附帯控訴人)に対し、金三六〇万円及び内金三〇〇万円に対する昭和五四年一月二一日から、内金六〇万円に対する昭和五九年六月三〇日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人(附帯控訴人)の控訴人(附帯被控訴人)東京都に対するその余の請求を棄却する。

三  原判決中控訴人(附帯被控訴人)国の敗訴部分を取り消す。

被控訴人(附帯控訴人)の控訴人(附帯被控訴人)国に対する請求を棄却する。

四  被控訴人(附帯控訴人)の控訴人(附帯被控訴人)国に対する附帯控訴を棄却する。

五  第一、二審の訴訟費用中、被控訴人(附帯控訴人)と控訴人(附帯被控訴人)東京都との間に生じた分は、これを二分し、その一を被控訴人(附帯控訴人)の、その余を控訴人(附帯被控訴人)東京都の各負担とし、被控訴人(附帯控訴人)と控訴人(附帯被控訴人)国との間に生じた分は、被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人(附帯被控訴人)東京都(以下「控訴人都」という。)及び同国(以下「控訴人国」という。)

1  原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人(附帯控訴人、以下「被控訴人」という。)の控訴人らに対する請求を棄却する。

3  被控訴人の本件附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

5  (控訴人国)

仮執行免脱宣言

二  被控訴人

1  控訴人らの本件控訴を棄却する。

2  原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。

3  控訴人らは被控訴人に対し、各自一五四〇万円及びうち一三〇〇万円に対する昭和五四年一月二一日から、うち二四〇万円に対する昭和五九年六月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。

5  仮執行宣言

第二  当事者の主張

当時者双方の事実上の主張は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決八丁裏六行目及び同一二丁裏六行目の「慢然」を「漫然」と訂正する。)。

一  控訴人都

1  ポリグラフ検査鑑定書を直ちに検察官に送付しなかつたことが違法であるとの点について

検察官は、送致された被疑者に対し、直ちに犯罪事実の要旨等を告げるなどして、自らも被疑者を取り調べるなどの捜査を行い、検察官自らの判断で勾留請求、公訴提起を行うなど、その捜査の独立性、自主性を有しているところ、被控訴人の供述の変遷過程は、検察官においてその当時の送致記録等からして明らかであつたばかりでなく、被控訴人は、昭和四八年一一月三〇日の検察官の取調べに対して、放火したことは間違いない旨を自白し、しかも、自白した時の態度は、ほつとして肩の荷を降ろしたような態度であり、その後の態度もそれまでの否認していた時のそれに比べて明らかに明るくなつており、自白内容も検察官をしてなる程と感じさせるものであつたというのであるから、本件においてポリグラフ検査鑑定書の記載内容のみによつて検察官が被控訴人の供述の信ぴよう性に疑いを抱くなどということは、経験則に照らしてもあり得ないことである。したがつて、右鑑定書の不送付が違法であるとの主張は理由がない。

2  被控訴人主張の三2は争う。

二  控訴人国

本件における検察官の控訴の提起、追行に違法、過失はない。

1  検察官と第一審裁判所が証拠についての価値判断を異にするため第一審無罪となつた場合には、検察官が控訴を提起し、第二審も無罪となつても、国家賠償法上検察官の控訴の提起、追行に違法、過失はないというべきである。本件において、刑事第一審判決の無罪理由は、A供述と控訴人の自白の信ぴよう性という価値判断にかかわることであり、かつ、信ぴよう性が全く失われたものではないのであるから、第二審で第一審と異なる判断がなされる可能性も大いにあるのであつて、有罪を確信する検察官が控訴を提起、追行することには合理性が存し、これに違法、過失があるとすべきではない。

2  原判決の判断手法は、要するに、刑事第一、二審裁判所がほぼ共通した証拠判断により無罪の判決をした場合には、その判断が不当と認められない限り、検察官は第一審判決の指摘した疑問を氷解させその判断を覆すに足りる証拠もないまま控訴を提起、追行したものであるとして、そこに違法性と過失を認めるものであつて、そのような判断手法がとられるならば、右のような場合には、国家賠償訴訟において、無罪判決が誤判であつたことを立証しない限り、検察官の控訴の提起、追行は常に違法、過失とされることとなり、かくては国家賠償訴訟を担当する裁判所は実質的に再審裁判所と化することとなり、その不当なることは明らかである。

3  芦別国賠事件最高裁判決が判示するように、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における証拠資料を総合勘案して合理的判断過程により有罪と認められる嫌疑であれば足りるものと解すべきである。

控訴の提起、追行も、公訴の場合と同様に裁判所の審判を求める意思表示であり、審判の素材の提出行為にすぎないから、現行刑事訴訟手続の構造上、検察官が第一審無罪判決を不服として控訴を提起しうる範囲は、控訴審裁判官が犯罪の成立を認め、刑罰法規の具現をなしうる範囲よりも自ずと広範であることが予定されている。

検察官は、裁判官による有罪判決がなされるか否かを予測して控訴の適合を判定しなければならないところ、裁判官は司法の独立の保障のもと、何ものにも制約されない自由心証主義による心証形成が許されているのであるから、その反射的効果として検察官の予測もまた広範な許容範囲をもつものにならざるを得ないのである。原告官としての立場あるいは治安維持の職責を担うものとしての立場を考慮したとしても、通常の検察官であるならば職務上要求される義務に違反しない限りなす筈がない解釈、認定をして控訴の提起、追行をした場合(裁量権の踰越)、あるいは違法又は不当な目的をもつて控訴の提起、追行をした場合(裁量権の濫用)、例えば、刑事第一審において、到底誰が見ても有罪の認定をなし得ず、また覆えすことも不可能な有力な反証がなされたとか、完璧なアリバイ立証がなされたとか、さらには真犯人が検挙されたとかの特段の事情がありながら控訴提起をしたような場合に限り、控訴の提起、追行が違法となると解すべきである。

4  本件の場合、検察官は、各種の証拠資料を慎重に検討した結果、刑事第一審判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、かつ、窃盗による逮捕、勾留中に作成された自白調書は証拠能力がないとしている点につき重大な訴訟手続の法令違反があるとの結論に達し、上訴審を担当する高等検察庁とも慎重な協議のうえ、控訴申立てに及び、控訴審を追行したものである。したがつて、本件控訴の提起は、法律の定めるところに従つたものであり、しかも、検察官の控訴理由としたところの、刑事第一審で別件逮捕、勾留中あるいはその影響下にある違法な自白調書とされた二五通の調書については、刑事第一審の法律解釈は誤りであることが是認されたのであるし、また、事実においても刑事第一審の証拠評価の一部に誤りがあることが指摘されたのである。刑事第一審判決の法律解釈、事実認定に誤りがあれば法の正当な適用を求めるべき職責をもつ検察官としては、その是正を求めて控訴するのは当然である。しかも、控訴趣意書の主張内容からも明らかなように、訴訟記録及び刑事第一審裁判所において取り調べた証拠にあらわれている事実をもつてしても明らかに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があることを主張して右裁判所の判決を不服としているのであり、右主張は詳細かつ具体的であり、理を尽くしているのであつて、これらが説得力を有することからしても、その主張自体に合理性があるものである。加えて、右主張に対しては、これを維持するに足りるだけの有力な根拠をもち、立証活動を行つたのである。しかしながら、結果的には、検察官の主張が控訴審裁判所の受け容れるところとならず、刑事第一審判決の無罪が維持されたのであるが、これは、裁判所の自由心証のしからしむるところであり、これをもつて検察官の控訴提起、追行が直ちに違法となるものでないことは明らかである。本件において、検察官の控訴の提起、追行が、明らかに自己の主観や単なる見込みに基づくものにすぎないなど控訴の目的範囲を著しく逸脱するとか、又は甚しく不当であるなど控訴上の権利の濫用にあたるなどの特段の事情も存しないし、検察官が違法又は不当な目的をもつて控訴をしたなどその付与された権限の趣旨に明らかに背いたと認めうるような事情も存しないから、本件控訴の提起、追行は、適法な検察権の行使、控訴権の行使である。

三  被控訴人

1  別件逮捕、勾留及びその間の取調べの違法性

違法な別件逮捕、勾留に当たるか否かは、個別に別件のみを検討するのではなく、本件と別件とを総合的に比較検討して、日本国憲法及び刑事訴訟法の定める令状主義を実質的に潜脱しているか否かを判断することによつて決すべきである。

本件事件捜査の経過、特に、放火事件に対する被控訴人の取調べ状況を仔細に検討すると、別件たる窃盗について逮捕、勾留の理由ないし必要性があつたにせよ、本件たる放火事件に対する取調べが別件逮捕、勾留中に相当の比重をもつて実際に行われていたことは明らかであり、ことに、別件の窃盗の被疑事実は、本件たる放火事件とは全く関連がなく、その捜査中にたまたま判明したものにすぎないから、本件は令状主義を実質的に潜脱するものに外ならず、違法な別件逮捕、勾留に当たり、その間の取調べも違法というべきである。

2  取調受忍義務について

被疑者が取調受忍義務を負うのは、裁判所による司法審査を経た逮捕、勾留の基礎となつた事実及びこれに関連する事実に限定され、被疑者が右事実と関係のない別個の事実の取調べを受ける場合は取調受忍義務はないから、右取調受忍義務のない事実について取調べをする場合には、刑事訴訟法に規定はなくとも、取調官は被疑者に対し右義務のないことを告知すべきであり、告知しなかつた場合には、右取調べは、任意の取調べとはならず、違法というべきである。

3  損害について

原審において、被控訴人の請求の一部が認められたが、控訴人らはこれに対し、違法、不当にも控訴した。このため被控訴人は精神的苦痛を受け、精神的、経済的に甚大な損害を受けるに至つた。これを金銭で見積れば二〇〇万円が相当であり、また、控訴人らの控訴に対する応訴のため被控訴人は代理人弁護士に控訴審追行を委任し、その着手金、報酬金として二〇〇万円を支払う旨約した。したがつて、これらを原審請求額に加えた合計損害額は二一八〇万円となるところ、被控訴人は控訴人ら各自に対し、その一部である一七八〇万円(原審認容額のほかに一五四〇万円)と、うち慰謝料相当分一五〇〇万円(同じく一三〇〇万円)に対する不法行為の後である訴状送達の日の翌日である昭和五四年一月二一日から、うち弁護士費用相当分二八〇万円(同じく二四〇万円)に対する本訴第一審判決言渡しの日の翌日である昭和五九年六月三〇日から、各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  証拠<省略>

理由

一事件の概要及び経過について

右については、原判決四一丁表三行目から七行目までのとおりであるから、これを引用する。

二警察官の違法な職務行為の有無について

1  被控訴人を本件放火事件の容疑者として捜査するに至つた端緒

(一)  原判決四一丁表一一行目から同四三丁裏六行目までを引用する(但し、同四一丁裏一行目の「甲第一号証、第三号証」を削除し、「第二六号証」から同二行目の「第四八号証」までを「甲第二六号証、第四四ないし第四八号証」と改め、同四行目の「証言」の次に「並びに弁論の全趣旨」を付加する。)。

(二)  もつとも、<証拠>によれば、(1)本件放火場所はすべて全日制生徒が使用している教室又はその付近であり、定時制生徒の使用する教室等ではなかつたこと、(2)右放火場所の一か所である化学準備室は、全日制一年C組担任のD教諭(以下「D教諭」という。)の控え職員室でもあつたところ、同じく放火場所の一つである一一二番教室(全日制一年B組の教室)の隣りの一一三番教室(全日制一年C組の教室)から、同組の出席簿が、放火のあつた日の前日の昭和四八年一〇月二五日午後四時半頃から翌二六日午前八時半頃までの間に紛失したこと、(3)全日制一年C組の生徒であつたBは、本件放火の直前の中間試験中にカンニングしたのを担任のD教諭に見つけられて殴られたうえ、母親を学校に呼び出されて三日間の自宅謹慎処分を受けたが、本件放火当日も右処分の期間中であり、右Bは、従前、D教諭は、カンニングを見つけた場合は本人を殴つてすませるか、あるいは親を学校へ呼び出して処分するかのどちらか一方の方法をとると言つていたのに、自分の場合は右二つの方法を併せてとられたと言つて同教諭に対し憤慨していたこと、(4)右Bは、前記紛失した出席簿を本件放火後頃から所持し、その二、三週間後友人のCにそれを見せており、また、右Bは時折他人をかつぐ等のいたずら好きの面ももつていたが、右Cに対し、「犯人は絶対につかまらない、自分が犯人だから。」とか、あるいは「真犯人を知つている、その証拠として出席簿と録音テープを所持している。」などと話していたこと、(5)斎藤警察官は、全日制一年C組の出席簿が紛失したとの届出を受けた(この事実は被控訴人と東京都との間において争いがない。)ものの、自己の一存で右出席簿の紛失と本件放火事件との関連性はないものと判断し、捜査会議にも報告しなかつたため、一年C組に関しての捜査等右出席簿紛失に関する捜査はなされなかつたこと、(6)本件放火の約一か月前である昭和四八年九月二三日にも富士高の一一一番教室(全日制一年A組の教室、前記一一二番教室の隣り)で放火とみられる出火事件があり、未だ犯人の検挙には至つていなかつたところ、捜査当局は、本件放火事件と右九月二三日の出火事件との関連性もないものと判断し、本件放火事件を右九月二三日の出火事件と関連させて両事件の共通点、類似点等を把握しながら捜査するという体制はとらず、ある程度全日制生徒側の捜査をした後、特に被控訴人に本件放火の嫌疑がかけられた後は、全日制の生徒に問題となる面はないものと判断して、全日制生徒側の捜査を事実上打切りとしたこと、が認められ、右の認定事実によれば、本件放火事件については、右九月二三日の出火事件との関連性はもとよりのこと、本件放火事件と時期をほぼ前後して起こつた全日制一年C組の出席簿紛失事件との関連性についても捜査がなされるべき筋合であつたということができる。

しかしながら、<証拠>によれば、右出席簿紛失の事実が斎藤警察官に伝えられたのは、D教諭からではなく、富士高側の窓口となっていた他の教師からであり、そのため右出席簿が紛失したと考えられる時間帯について明確な情報が捜査当局に与えられず、また、捜査当局は、全日制生徒のうち素行不良者と長期欠席者らが二、三名いることは把握したものの、全日制の学校側から、全日制の生徒には悪い者はいない、校外で直接生徒を取り調べることは差し控えて欲しいなどと言われていたため、その捜査も、右長期欠席者らの生徒を具体的に絞つて当該生徒を直接取り調べることはせず、全日制生徒全体に対しアンケートによる調査を実施した程度にとどめ、更に、全日制一年C組でその頃自宅謹慎の処分を受けた生従がいたとの事実も、捜査当局の要請にも拘わらず学校側からは伝えられていなかつたこと、が認められるから、捜査当局が、右出席簿紛失について、更にそれを持ち去つた者、時間、動機等を捜査しなかつたとしても、それを違法であるとまではいえず、また、被控訴人について前記のように捜査すべき端緒があつた以上、右出席簿に関する捜査や本件放火事件と前記九月二三日の出火事件との関連性についての捜査がなされるべきではあつたとしても、そのことをもつて被控訴人についての捜査を開始したことを違法とまでいうことはできない。

2  窃盗の被疑事実による逮捕についての嫌疑の有無

右については、原判決四四丁裏一〇行目から同四六丁裏三行目までのとおりであるから、これを引用する(但し、同四四丁裏一〇行目の「前掲甲第一号証、第三号証、」を削除し、「第四四号証」を「前掲甲第四四号証」に改め、同四五丁表二行目の「証言」の次に「並びに弁論の全趣旨」を付加する。)。

3  別件逮捕、勾留及びその間の取調べの違法性の有無

(一)  ある被疑事実(別件)の逮捕、勾留を利用して未だ逮捕、勾留の要件の備わつていない別の被疑事実(本件)について被疑者を取り調べようとする場合に、いわゆる別件逮捕、勾留に関する違法性の問題が生ずるところであるが、右の場合のうち、別件について実質上逮捕、勾留の理由ないし必要性がないにも拘わらず、本件の取調べのため形式上これあるかの如く令状請求の資料を整えて、ことさら別件についての逮捕状や勾留状を得た場合は、右の別件逮捕、勾留はそれ自体理由ないし必要性を欠くところから違法であり、したがつて右逮捕、勾留期間中の本件についての取調べもまた違法となることは明らかである。

これを本件についてみるに、被控訴人が四谷見附窃盗の被疑事実(以下「別件」ともいう。)により逮捕、勾留されたこと及びその期間中本件放火の被疑事実(以下「本件」ともいう。)についても取調べを受けたことは、被控訴人と控訴人都との間において争いがなく、右逮捕に理由があつたことは前示のとおりであり、したがつて、それに続く勾留にも理由があつたということができ、また、<証拠>によれば、別件は、その罪質、態様において悪質であり、その賍品が過激派学生に悪用される虞れも考えられたため、警視庁において重要事件として指定されていたこと、被控訴人は単身でアパートに居住し、定職に就いていなかつたこと、昭和四八年一一月一二日の任意出頭時において、別件のほか同種余罪多数を自供したこと、右別件は、同月二二日に他の三件の窃盗と共に起訴され、被控訴人は、昭和五〇年三月七日に他の一一件の窃盗と共に懲役一年六月、執行猶予二年の有罪判決の言渡しを受けたこと、が認められ、右の認定事実によれば、別件による逮捕、勾留にはその必要性があつたということができ、したがつて、別件による身柄拘束の根拠それ自体を欠くようなものでなかつたことは明らかである。

(二)  しかしながら、別件の逮捕、勾留に理由ないし必要性が認められる場合であつても、そのことと別件逮捕、勾留中の取調べがどこまで許されるかということは、別個の問題であり、別件逮捕、勾留中の本件の取調べが、許される余罪取調べの域を超え、具体的状況のもとにおいて憲法及び刑訴法の保障する令状主義を実質的に潜脱するものであると認められるときは、右本件の取調べは違法であるといわなければならない。

すなわち、逮捕又は勾留されている被疑者は、取調べのため捜査官のもとに出頭することを拒んだり、出頭後任意に退去したりすることができない(刑訴法一九八条一項但書)という趣旨において「取調受忍義務」を負うものとされているが、右のような取調受忍義務を負うのは、逮捕、勾留の基礎となつている被疑事実(別件)についての場合のほか、本件がこれと実体的に密接な関係があるとき、本件が別件の同種余罪であるとき、本件が別件に比して軽微な事案であるときなど別件処理のため必要であり或いは別件と共に処理することが相当であるなどの特別の事情のある場合に限られると解すべきである。

ところで、一般に、ある被疑事実について逮捕、勾留した被疑者に対し、捜査官が右事実のみでなく他の被疑事実についても取調べを行うこと自体は禁止されているわけではなく、また、逮捕、勾留を被疑事実ごとに形式的に繰り返していたずらに被疑者の身柄拘束を長期化させる幣害を防止する利点もある。従つて、逮捕、勾留中の被疑者に対しても、真に任意の取調べとして行われる限り、前記の余罪取調べの範囲内のものと否とに拘わらず取調べが許容されるものというべきであるが、被疑者が、別件について逮捕、勾留中に本件につき取調べを受けた場合、その取調べが真に任意の取調べといいうる限度内のものであつたか否かは、形式に因われることなく捜査方法の実体、就中、取調方法、取調時間、取調べの内容が事実関係の詳細にまで及んでいるか否か、本件の被疑事実とこれについての供述拒否権及び弁護人選任権の告知をしたかどうか等の諸事情を総合して判断すべきである。

これを本件についてみるに、本件にあたる放火の事実は別件である窃盗の事実と全く罪質を異にし、その日時場所等も大きく隔つているのであつて、両者の間に、実体的に密接な関係はないうえ、本件が別件の同種余罪でもなければ、別件に比して軽微な事件でもなく、本件の捜査が別件処理に必要であるとかあるいは別件と共に処理することが相当である場合ともいえないことは明らかである。そして、<証拠>を総合すれば、昭和四八年一一月一二日の四谷見附窃盗(別件)の逮捕状執行から同月二四日の本件放火(本件)の逮捕状執行までの間の取調べは、別件ほか窃盗関係については中野警察署の内田警察官が、本件関係については当時警視庁刑事課捜査第一課火災犯捜査係に所属していた武藤警部と同矢野警部補とがそれぞれ担当し、その各取調時間はおおむね原判決五〇丁表以下に掲げる取調時間表のとおりであつて、取調べが昼食時間又は夕食時にかかるときは食事のため約三〇分程取調べを中断し、右食事時間を除いた別件関係の取調時間は合計約二二時間、本件関係のそれは合計約八〇時間であることが認められ、右の認定事実によれば、本件関係の取調べは、別件の取調べとは異なり警視庁のいわば放火の専門捜査官ともいうべき二人の取調官が専らこれにあたつているうえ、取調時間数も別件関係のそれよりも遙かに長く、そのほぼ四倍にも及ぶものであつて、別件に比し本件の取調べにいかに捜査当局が精力を傾注していたかが窺われるところであり、また、別件の逮捕、勾留中における本件関係の取調べの具体的状況は後記6で述べるとおりであつて、武藤警部と矢野警部補は被控訴人に対し、脅迫、拷問とまではいえないものの、取調方法として許される限度を超えた自白の強要、甚しい誘導、心理的強制をし、痔疾による苦痛を訴えていたにも拘わらず、連日長時間にわたる取調べを行つたものであり、更に、黙秘権や弁護人選任権の告知についても、これらが明確に告知されたかどうかは必ずしも定かではなく(<証拠判断省略>)、たとえ右の告知がなされたものであるとしても、右に述べたような自白の強要や甚しい誘導等があつた経過に鑑みると、黙秘権や弁護人選任権を真実保障するに値する程のものであつたかについては疑いが残るといわなければならない。

以上の諸事情を総合すると、本件放火事件の取調べが真に被控訴人の任意の供述を求めるものであつたとは到底認め難く、余罪取調べの限度を超えた違法なものであり、加えて、先にみた、別件に比し質、量ともに遙かに精力を傾注した本件の取調べの実態、本件と別件との罪質、態様の相違、法定刑の軽重のほか、別件は本件放火事件の捜査中に探知された(これは被控訴人と控訴人都との間で争いがない。)ものにすぎないこと、捜査当局は、昭和四八年一一月一〇日頃には被控訴人に対し本件放火のかなり強い嫌疑を抱いていたが、当時の証拠資料のみでは未だ本件につき逮捕状の請求をすることはできないとの判断に立ち、そして、別件の逮捕に際しては当初から別件による逮捕、勾留中に本件を取り調べる意図を有していたのであり(<証拠判断省略>)、現に、捜査当局は、放火の事実を否認する被控訴人を別件の身柄拘束の開始日である昭和四八年一一月一二日から連日自供を求めて激しく追及し、その結果同月二〇日漸く自白調書作成の運びとなつたこと(これは後記6のとおりである。)をも合わせ考慮すると、別件逮捕、勾留中の本件放火の取調べは、別件での身柄拘束を本件に流用したうえでなされたことは明らかであり、先に述べた余罪取調べとしての限度を超えた違法なものであるにとどまらず、憲法及び刑訴法の保障する令状主義を実質的に潜脱する違法をも有するものといわなければならない。

4  取調受忍義務がないことの告知の要否

前記のとおり、被疑者が取調べに際し「取調受忍義務」を負うのは、逮捕、勾留の基礎となつている被疑事実についての場合及びこれと実体的に密接な関係があるなどの特別の事情のある場合に限られるが、このことから直ちに、刑訴法一九八条一項は右以外の場合に取調受忍義務不存在の告知義務を捜査官に課した規定であると解することは困難であり(告知の有無は、取調べが真に任意的になされたか否かを判断する一つの資料とはなり得るが、告知されなかつたからといつて、直ちに任意的でなかつたというものでもない。)、同条二項も供述拒否権の告知義務について規定するのみで、取調受忍義務不存在の告知義務は規定しておらず、他に右の告知義務を定めた規定は存しない。

したがつて、取調受忍義務の不存在を告知しなかつたことのみをもつて、直ちに違法な取調べであるということはできない。

5  本件放火の被疑事実による逮捕についての嫌疑の有無

右については、原判決五二丁表六行目から同丁裏八行目までのとおりであるから、これを引用する。

6  取調べにおける拷問脅迫等の有無

右については、原判決五二丁裏一〇行目から同八三丁表五行目までのとおりであるから、これを引用する(但し、同六七丁表七行目の「着いた時刻」を「着いたとされる時刻」に改め、同六九丁裏八行目の「甲第六号証」の次に「及び乙第八一号証」を、同一〇行目の「気づいたこと」の次に「及び富士高の警備員が警備員室で非常ベルを聞いて目を覚まし、火事に気づいたこと」をそれぞれ付加し、同七八丁裏七行目の「野沢馬」を「野次馬」に改める。)。

7  ポリグラフ検査鑑定書不送付の違法性の有無

(一)  原判決八三丁表七行目から同八四丁裏七行目の「いわざるを得ない。」までを引用する。

(二)  しかしながら、前掲甲第一七号証によれば、前記検査の際、被控訴人が、放火場所、方法等につきことごとく真相と異なる回答をしていたこと及び一一一番教室の放火の媒介物であるトイレットペーパーにつき「刑事の話しではそうだと聞きました。」と取調官の誘導をほのめかす答えをしていることが認められるが、同号証によると、右鑑定書の鑑定所見としては、「本検査では、自供内容に関連した質問に強い精神的動揺が認められたため、被疑者が本件の内容を認識しているかどうかについては判定することができない。」と記載されているにとどまることが認められるから、たとえ右の鑑定書が速やかに検察官のもとに送付されていたとしても、それによつて検察官に、被控訴人の自白の信ぴよう性について疑いを抱かせたはずであつたとまで断定することはできず、しかも、検察官の起訴、不起訴の判断は手持の全証拠を総合的に斟酌してなされるべきものであり、後記のとおり、本件の場合、検察官として公訴の提起、追行を決意させるに足る程の手持証拠を有していたのであるから、右鑑定書が送付されていたら本件公訴の提起はなかつたであろうとはいえないものであつて、右の不送付は、刑訴法の規定の趣旨に反しはするものの、それによつて被控訴人の具体的な権利や利益が侵害されたとは認められないから、被控訴人に対する違法な行為であつたとはいい得ない。

8  被控訴人の入院中の身柄拘束の有無

右については、原判決八五丁裏二行目から同八六丁表六行目までのとおりであるから、これを引用する。

9  以上のとおり、別件逮捕、勾留中の本件の取調べは、余罪取調べとして許される限界を超えた違法なものであるのみならず実質的に令状主義を潜脱する違法性を有し、かつ、別件逮捕、勾留中及び本件放火の被疑事実による逮捕、勾留中の取調べは、自白の強要や甚しい誘導等取調方法として許される限度を超えた違法なものであり、しかし右の各取調べにあたつた武藤警部、矢野警部補ほかの警察官がいずれも控訴人都に任用されていた地方公務員であることは、被控訴人と控訴人都との間において争いがないから、控訴人都は、警察官の右違法な職務行為につき被控訴人の被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

三検察官の違法な職務行為の有無について

1  検察官による警察に対する自白強制の示唆の有無

右については、原判決八七丁表九行目の「争いがない。」を「争いがなく、前掲乙第一九号証によれば、右同日の小林検察官の取調べの際の被控訴人の否認の内容は、酒を飲んで酔つていたので放火をしたという記憶がないという趣旨のものであつて、放火をしていない旨を強く訴えるというものではなかつたことが認められる。」に改めるほか、同三行目から同八九丁表六行目までのとおりであるから、これを引用する。

2  検察官の取調方法自体の違法性の有無

右については、原判決八九丁表八行目から同九二丁表一行目までのとおりであるから、これを引用する。

3  公訴提起の違法性の有無

右については、次のとおり付加、訂正するほか、原判決九二丁表三行目から同一〇六丁表九行目までと同一であるから、これを引用する。

(一)  同九三丁表六行目の「認められる。」を「認められるところ、成立に争いがない乙第五、第六号証、当審証人小林久義の証言並びに弁論の全趣旨によれば、小林検察官は、A供述及び被控訴人の自白に信ぴよう性を認め、これと他の証拠とを総合すれば有罪判決を期待しうると判断して本件放火の被疑事実につき被控訴人を起訴したことが認められる。」と改める。

(二)  同九三丁裏一行目の「一二月」を「一〇月」に改め、同九五丁裏四行目から同九六丁裏五行目までの括弧書き部分を削除する。

(三)  同一〇二丁表五行目の「第五六号証」の次に「及び第五八ないし第六二号証」を付加し、同六行目の「動機についての供述は、」の次に「学校のテストのため友達が被控訴人のもとに来なくなり寂しい思いでいたこと、放火すればテストがなくなると思つたこと、定時制の授業が低レベルであり、腹に据えかねていたこと、同性愛関係のEが昭和四八年九月末から同年一〇月二六日までの予定で名古屋公演に出かけていて会えず、恋しい気持であつたこと及び学校の文化祭でのキャンプファイヤの燃えるのが頭に浮かび、火をつけることを考えつき、火が燃えれば寂しいふさいだ気持も晴れるように思われたこと等がその中心をなしており、」を付加する。

(四)  同一〇二丁裏四行目の「こともできない。」の次に「もつとも、前記のとおり、被控訴人の供述調書には、本件放火当時現場に居たとすれば当然聞こえたはずの富士高の非常ベルに関する記載はないが、被控訴人が右のベルを聞いていないとの供述がなされている訳ではなく、取調官がいかなる理由かはともかくとして右のベルに関する質問をしなかつたことを意味するにとどまるから、右の不記載の事実のみから被控訴人の自白に信ぴよう性があるとした検察官の判断が合理性を欠くとはいえない。」を付加する。

4  刑事第一審公訴追行の違法性の有無

右については、原判決一〇七丁裏二行目の「概略」から四行目までを「あいまいな点もあつたが、概略警察官に対する供述と同旨の供述をした。」に改め、同一一四丁表三行目から同裏一一行目までを次のとおり改めるほか、同一〇六丁表一一行目から同一一五丁裏一行目までと同一であるから、これを引用する。

「以上のとおり認められる。

ところで、公訴追行においても、公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して通常の検察官としての合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑の有無により検察官の公訴追行に関する違法性の有無が判断されるべきであるところ、本件においては、前記のとおり、検察官の公訴提起に合理性を欠く違法があるとはいえないのであるから、右違法とはいえない公訴提起に引き続いて行われた検察官の公訴追行が違法であるというためには、公訴追行の間において、通常の検察官としての立場においても有罪判決を期待しうる合理的な理由が失われる程の有力な反証が提出されたとか、被告人(被控訴人)に明白なアリバイ証明があつたとか或いは他に真犯人のいることが証拠により確認されたとか等の特別の事情が生じたにも拘わらず、公訴を進んで取り消さず、あるいは無罪の論告をしなかつたということが必要であると解される。これを本件についてみるに、右にみたとおり、刑事第一審の審理の過程においては、証人として出廷したAは、被控訴人を目撃したとの点に関し、一部やゝあいまいな供述をし、また、その供述の信ぴよう性に幾分疑いを抱かせるかのような検証の結果も得られ、更に、被控訴人の警察官及び検察官に対する各自白調書については、違法な別件逮捕、勾留か否か及びそれによつて得られた自白の証拠能力の有無並びに任意性の有無が争われ、一部を除いてその証拠能力が否定され、証拠能力が認められたものについても、その信ぴよう性に疑いを抱かせるかのような渡辺警察官やポリグラフ検査技師らの供述及びポリグラフ検査鑑定書等の証拠も明らかになりはしたものの、右A証言については、そもそも目撃証人の証言というものは、時間の経過や目撃後に接する多くの情報、暗示などによつて相当に変化しうるものであるうえ、その証言の大筋は警察官や検察官に対する供述と同旨の内容のものであり、ポリグラフ検査鑑定書も、鑑定所見としてはあくまで「被疑者が本件の内容を認識しているかどうかについては判定することができない。」という趣旨のものであり、その他先にみた程度の反証では、右審理の過程で提出された他の証拠に照らすとこれをもつて通常の検察官の立場においても有罪判決を期待しうる合理的理由が失われる程の有力な反証であるとまで認めることができず、また、被控訴人にアリバイ証明があつた訳でも他に真犯人のいることが確認された訳でもなく、その他検察官が公訴を進んで取り消し或いは無罪の論告をすべき事由を認めるに足りる証拠はないから、右A供述に信ぴよう性を認め、被控訴人の自白調書に任意性と信ぴよう性とを認め、これらと他の証拠とを総合して有罪判決を期待して公訴追行をし、有罪の論告をした検察官(<証拠判断省略>)に違法があつたということはできない。

もつとも、<証拠>によれば、Aは、本件放火に近接した時刻に本件放火現場である富士校グランドに行つていたことから、捜査当局より放火犯人と疑われているのではないかと思つたことがあり、また、刑事第一審で証人として出廷した矢野警部補は、被控訴人逮捕の前、Aに本件放火の嫌疑をかけたことがある旨証言したことが認められ、これによれば、Aにおいて、被控訴人等他の者への嫌疑転嫁をする可能性もあり得ることであり、A供述の信ぴよう性を考慮するに際してはこのことをも配慮すべきものと一応はいいうるかもしれないが、しかし、一方、<証拠>によれば、本件放火発生の約一時間程前にAは、富士校のグランドから下宿に帰るところを下宿の前付近で友人のF外一名と会い、右二名は一たんバイクを取りに行くためAと別れたが、放火の約三〇分前である放火当日の午前二時頃再びAの下宿を訪れ、その後二時半頃本件放火を知らせるサイレンを聞くまで同人と共に同人の下宿に居たことが認められるから、Aとしては、当夜の行動について本件放火との関連でのアリバイの証明を、完全なものとはいえないとしても比較的容易になしうる状況にあつたと認められるから、A供述の信ぴよう性を考慮するに際し、右嫌疑転嫁の虞れにつきそれ程重きを置く必要はなかつたということができ、したがつて、A供述に右にのべたとおりの信ぴよう性を認めた検察官の判断に不合理は認められない。」

5  控訴及び控訴審公訴追行の違法性の有無

(一)  原判決一一五丁裏三行目から同一二七丁裏一行目までを引用する(但し、同一二三丁裏七行目の「武藤響部」を「武藤警部」と訂正する。)。

(二)  ところで、検察官の主たる任務は、刑罰法規の実現を図り社会秩序を維持するため、公訴権を行使することにあり、もとよりその権限の行使は適正でなければならず、いやしくも被告人の基本的人権を侵害するようなことがあつてはならないけれども、検察官は本質的に刑事訴訟手続における一方の当事者としての訴追官の立場にあるものであつて、第一審裁判所が無罪の判決をした場合に、その判断を不当とする検察官が更に上級裁判所の判断を求めるため控訴をすることは、刑事訴訟法が検察官に認めた権限であり、同法は、被告人とともに検察官にも控訴権を付与することによつて、より適正な刑事裁判の実現を目指したものというべきである。

右の趣旨に鑑みると、検察官が第一審の無罪判決を不当として控訴したが、控訴審も第一審と同様の判断の下に控訴を棄却し、無罪判決が確定した場合においても、その結果から直ちに右控訴の提起及び追行を違法とすべきではなく、第一審の判決を覆して有罪の判決を得られる見込みがあるとした検察官の判断過程に合理性が認められる場合には、右控訴の提起及び追行は、法が検察官に控訴権を付与した趣旨に反するものではなく、その権限を逸脱するものでもないから、適法というべきである。

これを本件についてみるに、検察官はA供述及び被控訴人の自白に任意性と信ぴよう性を認め、これらと他の証拠とを総合すれば有罪判決を得られるものと判断して公訴を提起し追行したものであつて、その判断が合理性を欠くものとはいえず、右公訴の提起及び追行に違法が認められないことは、既に判示したとおりである。これに対し、刑事第一審裁判所は、A供述のうち少なくとも同人が富士高体育館裏ですれ違つた人物が被控訴人であつたとの部分に関する限り、必ずしも高度の信ぴよう性を有するものとは即断できないとし、また、採用された被控訴人の検察官に対する自白調書の信ぴよう性についても多大の疑問があるとし、「被告人(被控訴人)が放火の真犯人であると断ずるまでの確たる心証に到達するには至らない」として無罪の判決を言い渡したものであり、被控訴人のアリバイ、あるいは他に真犯人がいることなどの確実な証拠に基づいて被控訴人の無実を明らかにしたものではない。検察官と刑事第一審裁判所との判断の差異は、ひつきよう、A供述及び被控訴人の自白調書等刑事第一審で提出された証拠についての価値判断の相違に基づくものということができる。そして、このような証拠の価値判断については、事実の認定が、裁判官の自由心証に委ねられている以上、控訴審裁判所が第一審と同じ判断をするとは限らないのであるから、第一審の判断を不当とする検察官が、既に提出した証拠や新たに提出する証拠について上級裁判所の評価、判断を求めて控訴を提起し追行することは、それが明らかに不当であり、検察官に控訴権を付与した法の趣旨に反すると認められるような特別の場合を除いては、検察官の権限に属する適法な行為というべきであつて、前示の事実関係に徴すると、本件における検察官の控訴の提起及び追行が右の特別な場合に当たるとは到底認めることができない。また、<証拠>によれば、検察官は、刑事第一審の事実誤認のほか、訴訟手続の法令違反として、別件逮捕、勾留中の本件の取調べが、いわゆる取調受認義務を伴わない純粋な任意捜査にとどまらない限り違法であるという原決定の見解は、従来の最高裁及び高裁の判例に牴触し法令に違反する旨主張していることが認められるところ、検察官の引用する各判例は、右決定の見解に反する判断を示したものとはいい難いものの、別件逮捕、勾留中の本件取調べの違法性の判断に関し、取調受認義務なるものをそもそも要件として掲げていないのであるから、その限りでは、右の義務を右違法性と関連づける解釈をとつた原決定が右引用判例と牴触すると解する余地もなくはなく、少なくともそのように解して原決定の法令違反を主張し、これを控訴理由とすることが合理性を欠くものということはできない。なお、前示のとおり刑事第二審の審理は控訴提起時から判決言渡時までほぼ三年を経、その間検察官申請の検証を採用して実施し、あるいは人証を取り調べるなど長期間にわたる入念な審理経過を辿つていることも、検察官の本件控訴の提起及び追行が合理性を欠くものでなかつたことを裏付けるものということができる。

6  武藤警部及び矢野警部補の不起訴処分の違法性の有無

右については、原判決一三二丁裏九行目から同一三三丁裏一行目までのとおりであるから、これを引用する。

7  以上のとおり、検察官のなした職務行為については何らの違法も認められないから、被控訴人の控訴人国に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四被控訴人の損害について

右については、次のとおり付加、訂正するほか、原判決が説示する理由のとおりであるから、これ(原判決一三三丁裏八行目から同一三五丁表一一行目まで)を引用する。

1  同一三五丁表一行目から二行目の「認められるから」を「認められ、しかも、先にみた警察官の被控訴人に対する取調べの状況、自白調書作成の経過等に照らして考えると、別件逮捕、勾留中の違法な取調べをはじめとした警察官の違法な取調べがなければ被控訴人の自白調書も生まれなかつたであろうと考えられるから」に改める。

2  同一三五丁表五行目の「警察官及び検察官の各違法」を「警察官の違法」に改める。

3  同一三五丁表七行目の「二〇〇万円」を「三〇〇万円」に、一〇行目の「被告ら」を「控訴人都」に、一一行目の「四〇万円」を「六〇万円」にそれぞれ改め、同裏一行目から六行目までを削る。

4  なお、被控訴人は、本件第一審判決に対してなした控訴人らの本件控訴は違法である旨主張するが、そもそも民事第一審判決に対して控訴をすることは、民事訴訟法上権利として認められていることであるから、これが違法というためには、権利のないことを知りつつ相手に損害を与えるため又は紛争解決以外の目的の為にあえて控訴の手段に出た場合、権利のないことを比較的容易に知り得べきなのに軽率、不十分な調査のままあえて控訴を提起した場合とか、控訴の目的その他諸般の事情からみて反社会的、反倫理的であることが必要であると解されるところ、本件全証拠によるも本件控訴が反社会的、反倫理的であるとは到底認められないから、右の主張は失当である。

五結論

以上の事実によれば、被控訴人の本訴請求は、控訴人都に対し損害賠償金三六〇万円及び、うち慰謝料相当分三〇〇万円に対する不法行為の後である訴状送達の日の翌日の昭和五四年一月二一日から、弁護士費用相当分六〇万円に対する本訴第一審判決言渡しの日の翌日である昭和五九年六月三〇日から、各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容すべきであるが、被控訴人の控訴人都に対するその余の請求及び被控訴人の控訴人国に対する請求は失当であるからこれを棄却すべきである。

よつて、控訴人都の控訴は理由がないからこれを棄却し、被控訴人の同控訴人に対する附帯控訴は一部理由があるから、原判決主文一、二項中同控訴人に関する部分を本判決主文二項のとおり変更し、控訴人国の控訴は理由があるから、原判決中同控訴人の敗訴部分を取り消し、被控訴人の同控訴人に対する請求を棄却し、被控訴人の同控訴人に対する附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を適用し、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官村岡二郎 裁判官佐藤繁 裁判官鈴木敏之)

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